2021年3月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 研屋町~安西エリア 上魚町(かみうおちょう 現在の金座町) 金貨を鋳造する「金座」のあったまち 家康公の大御所時代、中央の通り(茶町通り)の南側を室町幕府から御用金匠(金細工職人の長)を務めてきた後藤家の庄三郎光次(※1)が拝領し、金貨(小判)の鋳造を始めたのが「駿河小判座(金座 […]
2021年3月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 研屋町~安西エリア 上桶屋町(かみおけやちょう 現在の上桶屋町) 桶職人は一目置かれる職業でした 江戸時代の地誌『駿河記』などによると、町名は当時この場所で桶屋業が営まれていたことに由来するようです。家康公が駿府在城の頃、林惣右衛門という桶職人の棟梁が上桶屋町に居住しており、駿府城内で […]
2021年3月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 宮ヶ崎町(みやがさきちょう 現在の宮ヶ崎町・西草深町・安倍町ほか) 駿府城下最古の歴史ある門前町 慶長9年(1604)まで地内は浅間神社領でした。宮ヶ崎の地名は、この神社の社前に位置すること(お宮の前=宮の崎、言い方としては「みやんがさき」)に由来し、駿府城下で最も古い歴史を持つ門前町で […]
2021年3月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 伝馬町~横田町エリア 下横田町(しもよこたまち 現在の横田町) 駿府の安全を守る「東の見附」があったまち 平安時代に編纂された『延喜式(えんぎしき)』には東海道の駅のひとつに「横田」の名が記されています。また、同じく平安時代に編まれた『倭妙類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(※1)に […]
2021年3月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 伝馬町~横田町エリア 花陽院門前町(けよういんもんぜんちょう 現在の伝馬町・鷹匠2丁目) 竹千代の外祖母 源応尼が眠るお寺があるまち 「此町は元横田の内にて、寺門前なるに拠って然唱へ、寺へ続く地なり(『駿国雑志』より)」 花陽院門前町(※1)は伝馬町と鋳物師町に挟まれ、東海道に面し府中宿の一画を構成していまし […]
2021年3月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 上下伝馬町(かみしもてんまちょう 現在の伝馬町・御幸町) かつて府中宿が置かれていたまち 東海道五十三次の19番目の宿場である府中宿の一画にあって、伝馬の機能が設けられた町であったことからこの町名が付きました。「伝馬」とは、幕府の公用のために宿場で乗り継ぐ馬のことを指します。公 […]
2021年3月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 江川町(えがわちょう 現在の紺屋町・御幸町・呉服町2丁目ほか) 町の名は消えても、その名は生きています 江川町は、江戸時代から昭和20年(1945)までの町名で、伊豆国韮山の代官を務めた江川家の先祖が天正年間(1573~92)にこの地に居住したことに由来するという説と、天正年間に伊豆 […]
2021年3月5日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 大工町~常磐町エリア 藤右衛門町(とうえもんちょう 現在の七間町) 横七間藤右衛門町とも呼ばれていました 町名の由来は、家康公にゆかりのあった藤右衛門という人が住んでいたことによります。寛永2年(1625)12月の『中納言様より被下候米之割帳(くだされそうろうこめのわりちょう)』(中納言 […]
2021年3月5日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 大工町~常磐町エリア 西寺町大鋸町(にしてらまちおおがまち 現在の大鋸町) 慶長の町割りでできた2つのまち 大鋸町は、この地に木挽き(製材)を職業とする人達が住んでいたことから名付けられました。江戸時代末期に編纂された地誌『駿河国新風土記』の「大鋸町」の記述に「大鋸町と名づくるは木挽を生業にする […]
2021年3月5日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 研屋町~安西エリア 柚木町(ゆずのきちょう 現在の柚木町) 柚の木に由来する町名 町名の由来については二説あり、昔安西との間にあった堤に柚の大木が植えられていたため(『駿河記』より)とも、この地にあった福壽山大林寺の境内にあった柚の大樹が大林寺の転座(葵区安西)後もそのまま残され […]