江尻町(えじりちょう 現在の常磐町1丁目)

町名の由来は、川の流れの末だったから?

町名の由来については、江戸時代後期に編纂された地誌『駿河志料』に庵原郡(現在の静岡市清水区)江尻の人々が移り住んだことに因むという説が記されています。家康公が大御所として駿府に入る際、それまで駿府を自由気ままに流れていた安倍川と藁科川の流れを現在の安倍川の形に大々的に改修しました。

その頃の安倍川の本流は賎機山(しずはたやま)の西麓から静岡浅間神社前を一廻りして、現在の中町付近を流れていました。その付近で分かれた流れは静岡市役所を過ぎたあたりで再び分流し、その支流の一つである妹川は江川町交差点付近から更に分流し、その1つが御幸通りを流れて沼地に注いでいました。

ここから、妹川の流れの末=江の川尻(※1)に位置しているため江尻町と名付けられた、という説もあります。

(※1)「江(ごう)」とは入江と同じ意味で、海や湖水が陸地に深く入り込んだところ。

中町交差点(旧四足町)辺りには安倍川が流れていました

 

静岡市役所前にも安倍川の支流が流れていました

 

慶応2年(1866)3月10日、呉服町二丁目伊豆屋彦五郎の土蔵から出火した火事は北からの強風に煽られ、18ヶ町を焼失させましたが、江尻町は71戸のうち33戸150人が罹災したということです(『新版静岡市史』より)。

江尻町の町並み 平屋町方面

 

江尻町の町並み 下魚町方面

 

昭和20年(1945)に常磐町1丁目に改編され、江尻町の町名は消滅しました。

江尻町の町並み 下石町二丁目方面