2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 呉服町(ごふくちょう 現在の呉服町1,2丁目) 昔も今も変わらぬ「賑わい・交流の場」 古文書によると、永禄年間(1558~70)は「本町」と呼ばれていましたが、その後家康公が呉服商人をこの地に居住させ、城中の呉服の御用を務めたり、家康公の「呉服所」(家康公の衣服などを […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 新谷町(しんがいちょう 現在の御幸町・伝馬町) 紺屋町にある小梳神社とゆかりのあるまち 町名の由来については、江戸時代の地誌『駿河記』に「新谷氏の居宅ありし故に名づく」と記されています。また、「慶長十四年に町割有て新に建てられし所なり」ともあり、町割りによって新設され […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月14日 seishin100 大工町~常磐町エリア 寺町(てらまち 現在の梅屋町・駿河町・常磐町2,3丁目・本通5丁目ほか) 外敵の侵入を阻止するための防衛線 寺町の名は家康公が駿府の城下町を整備した際、周辺の寺々をこの地に集中させたことに由来します。家康公は西国の大名を強く意識していたので、城下町の西の外れに寺を集めることで敵の攻撃に備えてい […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 大工町~常磐町エリア 常慶町(じょうけいちょう 現在の常磐町2丁目) 教覚寺境内だけという珍しいまち 常慶町は松下常慶(浄慶とも書く)が居住していたことに因んだ町名で、昭和20年(1945)まで教覚寺境内だけで1ヶ町を成した珍しい町でした。 松江山教覚寺(づんごうざんきょうかくじ)は旧静岡 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 鍛冶町(かじまち 現在の昭和町・紺屋町) 刀剣や農具を作る鍛冶職人のまち 駿府城大手門の南に位置する町名は、天正期頃(1574~93)から鍛冶職人を住まわせたことに由来しています。駿府には刀剣や農具を作る「地鍛冶」と「瀬名鍛冶」、釘類や舟道具を作る「上鍛冶」と呼 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 大工町~常磐町エリア 下魚町(しもうおちょう 現在の常磐町2丁目) 地元では「しもんたな」と呼ばれたまち この地は用宗方面から運ばれてくる魚介類を扱う商人が集まり、慶長年間(1596~1615)に城中御用の魚問屋が置かれました。城から離れているため、一部が金座のあった付近に移されて上魚 […]
2021年6月11日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 川越町エリア 本通川越町(ほんとおりかわごしちょう 現在の本通10丁目) 多くの川越人足が居住していたまち 新通川越町・堤添川越町と合わせて三川越町(川越三町とも)と呼ばれていました。町名は本通九丁目の西隣にあり、安倍川の川越人足(かわごしにんそく)が居住したことに因みます(『駿河国新風土記』 […]
2021年6月11日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 川越町エリア 新通川越町(しんとおりかわごしちょう 現在の川越町・新通2丁目) 正直者の川越人足が住んでいたまち 本通川越町・堤添川越町と合わせ三川越町(川越三町とも)と呼ばれた町の一つです。 新通川越町は駿府城下町の西の入口、新通り沿いにあり、東の入口横田町に東見附があったように、地内に西見附があ […]
2021年6月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 伝馬町~横田町エリア 八幡小路町(やはたこうじまち 現在の栄町・伝馬町) 神君家康公に通じる久能街道沿いのまち 花陽院門前町前の東海道から久能(静岡市駿河区久野地区)に向かう道沿いにあった町です。現在の伝馬町通り(旧東海道)との交差点の角に「久能山東照宮道」の碑が建てられています。久能街道とも […]
2021年6月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 伝馬町~横田町エリア 台所町(だいどころまち 現在の相生町1丁目・伝馬町・鷹匠2丁目) 城下町に存在する「台所町」 台所町は駿府城の南東に位置し、町名は駿府城の御台所御門(おんだいどころごもん)に通じるところにあったことに由来するといわれています。御台所御門は本丸東側の門で、櫓(やぐら)付きで本丸堀に少し張 […]