八幡小路町(やはたこうじまち 現在の栄町・伝馬町)

神君家康公に通じる久能街道沿いのまち

花陽院門前町前の東海道から久能(静岡市駿河区久野地区)に向かう道沿いにあった町です。現在の伝馬町通り(旧東海道)との交差点の角に「久能山東照宮道」の碑が建てられています。久能街道とも呼ばれ、ここから久能山下までは2里11町(※1)で、江戸時代に参勤交代で江戸へ向かう西国大名は、ここで東海道を離れ、家康公が祀られている久能山に参拝しました。この久能街道は、古くから久能で取れた塩などの海産物を駿府に運ぶ役割を果たしていました。

この道の起点は「八幡小路」と呼ばれ、道の両側にあったのが八幡小路町でした。地名は八幡村の八幡宮への道だったからといわれています。八幡町とも呼ばれていました。

(※1)1里=3.927㎞、1町=109m。2里11町=約9㎞

久能山東照宮道の碑

 

久能街道入口 手前の広い通りが旧東海道

 

葵区北にある円光院は、昭和20年(1945)の静岡大空襲で焼失する前までは八幡小路入口左側にあり、家康公在城時、ここに施薬院(せやくいん)(※2)として建てられたといいます(『駿河国新風土記』より)。円光院は家康公から拝領した三葉葵の御紋がある「薬研(やげん)」という器具を所蔵しています。薬研は生薬などを細かく砕いて粉末化するための、舟形で中がV字にくぼんだ金属製の器具です。

(※2)貧しい病人に薬を与えるなどして治療する施設。

身寄りのない者や無宿人などが行き倒れや事故などによって駿府で亡くなったときは、円光院がその町内から銭100文を徴収して葬っていたことから、別名「無縁寺」とも呼ばれていました。ほかにも、家康公がこの寺で月見の席を催したので「月見山円光院」と呼ばれたという言い伝えも残っています。

八幡小路沿いには永禄元年(1558)開山の臨済宗龍華山安南寺もありました。境内には如意輪観音菩薩を祀った観音堂があったそうです(『静岡市伝馬町誌』より)。安南寺は戦後の都市計画により葵区沓谷に転座しましたが、門前にあった日切地蔵は現在も国道一号線の傍に祀られています。

府中の地図 赤丸が安南寺(安南寺提供資料)

 

地内にありし日の安南寺の写真(同上)

 

現在の安南寺山門

 

明治5年(1872)八幡小路町は上八幡町と改称され、昭和20年(1945)に栄町と伝馬町に分割編入され、町名は消滅しましたが、地元の人達は今でも、伝馬町通りから南に入る道を八幡小路と呼んでいます。