2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 御器屋町(ごきやちょう 現在の西草深町) 献上品の器を作る職人が住んだまち 江戸時代の地誌『駿国雑志』によると、家康公が駿府在城の頃に地内に中川屋某氏が住んでおり、諸役を免除され専ら食器を作って城中に収めていたため古くは中川町と呼ばれていました。御器屋町の町名は […]
2021年5月21日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 安倍町(あべちょう 現在の安倍町) 由来は「安倍郡」?それとも「安倍氏」? 静岡浅間神社の南西に位置し、安倍川上流域や井川方面に通じる街道の起点で、安西通りと交差する場所にある町です。町名の由来は、家康公に仕えて数々の武勲を立てた、安倍奥(安倍口の奥地)の […]
2021年5月21日 / 最終更新日 : 2022年3月28日 seishin100 中町~材木町エリア 車町(くるまちょう 現在の車町) 京都から呼んだ牛飼いたちを住まわせたまち 慶長年間(1593~1615)家康公が駿府城築城の際、資材運搬のため、京都鳥羽から4人、伏見から3人の牛飼いを呼んで住まわせたのが町名の由来といわれています。牛飼いたちは牛車(う […]
2021年5月21日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 材木町(ざいもくちょう 現在の材木町) 安倍山中の材木の集積地として栄えたまち 安倍川が浅間神社脇に流路をもっていた頃、上流から筏(いかだ)で流した安倍山中の材木を駿府城の西に位置したこの町で荷揚げしていました。今川家や徳川幕府は、荷揚げの際に10分の1を運上 […]
2021年4月19日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 上下草深町(かみしもくさぶかちょう 現在の西草深町) 水草が茂る川原から草深と名付けられたまち 安倍川の改修と流路の変化によって生まれた土地で、駿府城築城以前は水草が生い茂った川原だったことから「草深」と名付けられたといわれています。家康公が駿府在城時代、現在の西草深公園近 […]
2021年4月16日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 四足町(よつあしちょう 現在の中町) 「四足御門」の門前にあったまち 四足町は駿府城の四足御門の前に位置する町でした。四足御門は諸大名が家康公との謁見の際に通る門であり、家康公を護る武士団の出入口にも使われていたといわれています。葵区中町の静岡市立病院側バス […]
2021年3月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 宮ヶ崎町(みやがさきちょう 現在の宮ヶ崎町・西草深町・安倍町ほか) 駿府城下最古の歴史ある門前町 慶長9年(1604)まで地内は浅間神社領でした。宮ヶ崎の地名は、この神社の社前に位置すること(お宮の前=宮の崎、言い方としては「みやんがさき」)に由来し、駿府城下で最も古い歴史を持つ門前町で […]
2021年3月5日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 馬場町(ばばんちょう 現在の馬場町・富士見町・西草深町・中町) 町名の由来は馬術競技のための馬場があったから 『駿国雑志』によれば、家康公が駿府在城の頃、乗馬や馬術競技をする馬場があったことに由来しています。この馬場は浅間神社廿日会祭(はつかえさい)で流鏑馬(やぶさめ)が行われていま […]