土太夫町(どだゆうちょう 現在の土太夫町)
浅間神社神職の門弟の名前が土太夫さん
江戸時代に編纂された地誌『駿国雑志』によると、静岡浅間神社(※1)の神職に仕えた宇式土太夫(うしきどだゆう)という者が住んでいたとあり、町名はこれに由来するようです。
(※1)浅間(あさま)神社、神部(かんべ)神社、大蔵御祖(おおとしみおや)神社の三社を総称して静岡浅間神社、通称おせんげんさんという。
浅間 神部神社 山門
古くより、修行のために富士山に登る人々は静岡浅間神社に参詣し、宝冠(※2)をかぶり、浅間神社が作った木綿の袈裟に行衣(ぎょうい)という白装束を着用し、金剛杖を携えることが習わしでした。この袈裟は代々浅間神社の神職が作っていましたが、戦国時代(永禄年間)には宇式土太夫も作ることになった、と『駿河国新風土記』にあります。
(※2)ほうかん。宝冠は富士登山の際のリーダー的存在の「先達(せんだつ)」が頭に巻く白い布のこと。長さ3m、幅約30cm。宗教的な意味合いだけでなく、命綱にしたり、金剛杖を束ねて岩と岩の間を渡るための橋代わりにも活用した。
浅間 神部神社 御拝殿(重要文化財)
大歳御祖神社御本殿(重要文化財)
『駿河志料』によると、土太夫の家は延宝(1600)の頃に絶えましたが、地内にある櫻森稲荷には土太夫が祀られています。
櫻森稲荷神社
櫻森稲荷神社御本殿
江戸時代後半の『駿府町会所文書』によると、茶の商売で利益を上げた土太夫町の茶商人が駿府の有力者となり、駿府全体の政を担うまでになっていたことがわかります。
土太夫町の町並み 柚木町方面