2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 紺屋町(こうやまち 現在の紺屋町・伝馬町・昭和町) 徳川最後の将軍 慶喜公が住んでいたまち 紺屋町の名は、江戸時代初めに染物師(紺屋)の町として整備されたことに由来します。紺屋町は商人の町として栄えましたが、 天領(※1)を治める代官屋敷もここにありました。駿府城と城下町 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 下桶屋町(しもおけやちょう 現在の昭和町・紺屋町) 地内の親孝行な桶職人が褒美をもらったまち 江戸時代に、桶を作る専門職人が居住していた区域のうち、林惣右衛門という桶職人の棟梁が住んでいた町を上桶屋町(現在の茶町と土太夫町に接した町)、もう一方を下桶屋町(現在の昭和町と紺 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 江尻町(えじりちょう 現在の常磐町1丁目) 町名の由来は、川の流れの末だったから? 町名の由来については、江戸時代後期に編纂された地誌『駿河志料』に庵原郡(現在の静岡市清水区)江尻の人々が移り住んだことに因むという説が記されています。家康公が大御所として駿府に入る […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 平屋町(ひらやちょう 現在の常磐町1丁目・昭和町・両替町2丁目) 別名「平井町」とも呼ばれていました 町名の由来については、江戸時代後期に編まれた『駿河記』に「昔、平屋某と之人の居宅なるを以って名づく」と記されています。別名「平井町」とも呼ばれていたそうです(『駿河国新風土記』より)。 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 両替町(りょうがえちょう 現在の両替町1,2丁目・七間町) 静清信用金庫が産声をあげたまち 駿府九十六ヶ町では両替町は一丁目~六丁目までありました。 町名は慶長11年(1606)この地に銀座が設けられ、金銀の両替商が置かれたことに由来します。当時は両替町二丁目に銀座役所が置かれ、 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 札之辻町(ふだのつじまち 現在の七間町・呉服町1丁目) 時代劇でよく見る高札が掲示されたまち 札之辻町は駿府城表玄関にあたる大手門の先にあり町の中心でもあったので、ここに駿府町奉行所の「高札(こうさつ)」を掲げる「高札場(こうさつば)」があったことに由来します。高札とは幕府の […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 呉服町(ごふくちょう 現在の呉服町1,2丁目) 昔も今も変わらぬ「賑わい・交流の場」 古文書によると、永禄年間(1558~70)は「本町」と呼ばれていましたが、その後家康公が呉服商人をこの地に居住させ、城中の呉服の御用を務めたり、家康公の「呉服所」(家康公の衣服などを […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 新谷町(しんがいちょう 現在の御幸町・伝馬町) 紺屋町にある小梳神社とゆかりのあるまち 町名の由来については、江戸時代の地誌『駿河記』に「新谷氏の居宅ありし故に名づく」と記されています。また、「慶長十四年に町割有て新に建てられし所なり」ともあり、町割りによって新設され […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 鍛冶町(かじまち 現在の昭和町・紺屋町) 刀剣や農具を作る鍛冶職人のまち 駿府城大手門の南に位置する町名は、天正期頃(1574~93)から鍛冶職人を住まわせたことに由来しています。駿府には刀剣や農具を作る「地鍛冶」と「瀬名鍛冶」、釘類や舟道具を作る「上鍛冶」と呼 […]
2021年3月10日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 上下伝馬町(かみしもてんまちょう 現在の伝馬町・御幸町) かつて府中宿が置かれていたまち 東海道五十三次の19番目の宿場である府中宿の一画にあって、伝馬の機能が設けられた町であったことからこの町名が付きました。「伝馬」とは、幕府の公用のために宿場で乗り継ぐ馬のことを指します。公 […]