下石町(しもごくちょう 現在の常磐町1,2丁目・七間町・両替町2丁目)
穀物を扱う商人たちが多く住んでいたまち
下石町の「石(こく)」は穀物の「穀」で、米麦豆類その他の雑穀を意味しています。駿府城に家康公が在城していた頃、米座と呼ばれた穀物の販売がこの町で行われており、その商人たちが住んでいたことに由来した町名です。駿府にはこの穀物を商う町が2か所ありました。現在も町名が残っている上石町一~二丁目と、下石町一~三丁目です。駿府では「上」が北、「下」は南にあることを意味しています。上石町、下石町は石町・本石町とも呼ばれていたそうです。
下石町(一~三丁目)の謂れ
現在、東京都にも石町があります。寛文年間(1661~1672年頃)、現在の日本橋は「本石町一丁目~四丁目」という町名で、こちらも米穀商が集住していたことから石町の名が成立したそうです。神田に新石町ができたことで日本橋のほうは「本石町」に改称しました。江戸期から昭和7年(1932)までは現在の日本橋本石町三丁目~日本橋室町三丁目、日本橋本町三丁目に至る地にあたり、西から東に一~四丁目があったそうです。
下石町三丁目の町並み 下石町二丁目方面
明治25年(1892)1月9日に七間町一丁目から出た火災は、強い西風で16ヶ町711戸を焼き尽くし、下石町は全焼しました(『静岡市史』『静岡市火災史料』より)。
昭和15年(1940)の静岡大火では事後の防火対策で幅6mだった下石町通りが幅36mの青葉通りになったため、町のかなりの部分が道路になってしまいました。そして、静岡空襲で再び焼け野原となった後、昭和20年(1945)、両替町、常磐町、七間町に分割編入され、下石町の名は消滅しました。
下石町境の町並み 七間町二,三丁目境方面
下石町の町並み 中央に見える通りが青葉通り 正面の建物は静岡市役所庁舎
現在金座町にある日本銀行静岡支店は、もともと昭和18年(1943)6月1日、下石町に開設されました。第二次世界大戦(1939年~1945年)中の戦火により、金庫館を残して焼失したため、静岡銀行本店内での仮営業所などを経て昭和20年(1945)11月、呉服町に移転、さらに昭和47年(1972)10月7日に現在の場所(葵区金座町)に移転し、現在に至るということです(「日本銀行静岡支店資料」より)。
日本銀行静岡支店跡地(下石町二丁目)