2022年3月8日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 大工町~常磐町エリア 下石町(しもごくちょう 現在の常磐町1,2丁目・七間町・両替町2丁目) 穀物を扱う商人たちが多く住んでいたまち 下石町の「石(こく)」は穀物の「穀」で、米麦豆類その他の雑穀を意味しています。駿府城に家康公が在城していた頃、米座と呼ばれた穀物の販売がこの町で行われており、その商人たちが住んでい […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 紺屋町(こうやまち 現在の紺屋町・伝馬町・昭和町) 徳川最後の将軍 慶喜公が住んでいたまち 紺屋町の名は、江戸時代初めに染物師(紺屋)の町として整備されたことに由来します。紺屋町は商人の町として栄えましたが、 天領(※1)を治める代官屋敷もここにありました。駿府城と城下町 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 中町~材木町エリア 御器屋町(ごきやちょう 現在の西草深町) 献上品の器を作る職人が住んだまち 江戸時代の地誌『駿国雑志』によると、家康公が駿府在城の頃に地内に中川屋某氏が住んでおり、諸役を免除され専ら食器を作って城中に収めていたため古くは中川町と呼ばれていました。御器屋町の町名は […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 下桶屋町(しもおけやちょう 現在の昭和町・紺屋町) 地内の親孝行な桶職人が褒美をもらったまち 江戸時代に、桶を作る専門職人が居住していた区域のうち、林惣右衛門という桶職人の棟梁が住んでいた町を上桶屋町(現在の茶町と土太夫町に接した町)、もう一方を下桶屋町(現在の昭和町と紺 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 江尻町(えじりちょう 現在の常磐町1丁目) 町名の由来は、川の流れの末だったから? 町名の由来については、江戸時代後期に編纂された地誌『駿河志料』に庵原郡(現在の静岡市清水区)江尻の人々が移り住んだことに因むという説が記されています。家康公が大御所として駿府に入る […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 平屋町(ひらやちょう 現在の常磐町1丁目・昭和町・両替町2丁目) 別名「平井町」とも呼ばれていました 町名の由来については、江戸時代後期に編まれた『駿河記』に「昔、平屋某と之人の居宅なるを以って名づく」と記されています。別名「平井町」とも呼ばれていたそうです(『駿河国新風土記』より)。 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 両替町(りょうがえちょう 現在の両替町1,2丁目・七間町) 静清信用金庫が産声をあげたまち 駿府九十六ヶ町では両替町は一丁目~六丁目までありました。 町名は慶長11年(1606)この地に銀座が設けられ、金銀の両替商が置かれたことに由来します。当時は両替町二丁目に銀座役所が置かれ、 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 川越町エリア 堤添川越町(つつみぞいかわごしちょう 現在の本通西町) 安倍川の川会所があったまち 新通川越町・本通川越町と合わせ三川越町(川越三町とも)と呼ばれました。本通りの西端、安倍川左岸の安倍川内堤の傍らにあり、川越人足が居住したことからこの町名がつけられました。堤添町ともいわれたそ […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 川越町エリア 安倍川町(あべかわちょう 現在の駒形通5丁目・新通2丁目・川越町) 日本の歓楽街の始まりとなったまち 駿府城の南西にあたる東海道往還の新通七丁目から小路を少し南に入ったところに位置した町です。安倍川の渡しの近くに町があったことから安倍川町となったと『駿国雑志』は伝えています。かつては「阿 […]
2021年7月26日 / 最終更新日 : 2022年3月11日 seishin100 札の辻~紺屋町エリア 札之辻町(ふだのつじまち 現在の七間町・呉服町1丁目) 時代劇でよく見る高札が掲示されたまち 札之辻町は駿府城表玄関にあたる大手門の先にあり町の中心でもあったので、ここに駿府町奉行所の「高札(こうさつ)」を掲げる「高札場(こうさつば)」があったことに由来します。高札とは幕府の […]