札之辻町(ふだのつじまち 現在の七間町・呉服町1丁目)

時代劇でよく見る高札が掲示されたまち

札之辻町は駿府城表玄関にあたる大手門の先にあり町の中心でもあったので、ここに駿府町奉行所の「高札(こうさつ)」を掲げる「高札場(こうさつば)」があったことに由来します。高札とは幕府の政策や禁制、法令を庶民に徹底させるため、各地の要所に設置された掲示板です。高札はヒノキ材が用いられ、掲示する内容は仮名交じり文で墨書きされ、現在の七間町通りと呉服町通りの交差点に立てられていました(『静岡市の史話と伝説』より)。高札場がある四つ辻(四つ角)は札之辻ともいわれました。当時の東海道は、七間町通りと呉服町通りを通っていました。

札之辻址の碑

 

札之辻址についての説明碑

 

札之辻址についての説明

 

高札場のあった四つ辻(交差点)

 

高札を管理する奉行所は、寛永9年(1632)大手組町奉行として駿府城大手御門前、現在の静岡市役所の建つ場所に設置されました。町政全般の掌握から訴えの裁き、城下の警備や府中宿の管理など、駿府の町民生活に直接かかわる広範な業務を担っていました。明治元年(1868)までに旗本を中心に63人が町奉行に任命されました。

駿府町奉行所址の碑

 

駿府町奉行の説明碑

 

札ノ辻町は東海道の道筋にあたることから、地内には駿府城御用達のお菓子屋をはじめ、江戸時代の由緒ある店が立ち並んでおり、当時から行き交う人達で賑わっていました。

高札場は明治7年(1874)3月に廃止され、設備や石垣などは入札にて払い下げられたそうです(『静岡市の史話と伝説』より)。

昭和20年(1945)まで呉服町と七間町の交差点付近にあった札之辻町は、七間町や呉服町1丁目の一部となり町名は消滅しましたが、「札之辻址」の碑が交差点の一角、静岡伊勢丹正面玄関前に置かれています。

「札之辻」の名前を現在に引き継ぐものとして交差点の一画に札の辻クロスがあり、その中に現代の情報発信拠点として札の辻クロスホールが入っています。

四つ辻の一画に建つ札の辻クロス